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ドジでおまぬけで、うっかりやさんで、自分にあまーーーい私のだめだめな日々のつれづれ…と、3匹の愛にゃんについてのブログ
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わーーーーー。。。
とりあえずレポート終了!
自己満!がんばった証拠☆
まじめーーーな内容なのでスルーしてください!

<東洋美術史 第二レポート>
課題:韓国 高麗時代の仏画「京都・泉屋博古館「楊柳観音図」徐九方画」と日本との関係について

 韓国の美術は、朝鮮三国時代に伝わった仏教から開花する、仏教は新羅に至り国家的に広められ、特に918年からの高麗時代は、建国当初の太祖王建が護国の礎として仏教を顕彰したため朝鮮仏教美術の最盛期と言われている。私はその中でも優れた作品が多く日本に残されている仏画について取り上げてみたい。

 高麗時代は918年から1392年李氏朝鮮の統治になるまでに時代を言う。仏画は現在140点ほど現存が確認されその多くは日本に残る。現存する作品のほとんどが13世紀からの高麗後期の仏画で初期の作品は残っておらず、度重なる戦争によって失ったとされる。高麗歴代の王は、宋との交流を盛んに行う者が多く、特に1308~1313年の忠宣王は中国の名画を多く輸入していたともいわれ貴族趣味な中国院体画風の影響は大きい。また宋の仏画の図像を伝統化していることも指摘され図像の独自性が乏しいことから13世紀からの高麗仏画は絵画の発展がないとも言われる。だが、一方で繊細で緻密な文様表現の装飾性・緻密性、柔かい色調などは高麗独特のものである。高麗後期、貴族間で浄土宗が流行していたことから、阿弥陀系の仏画や、観音菩薩図、地蔵菩薩図、弥勒菩薩が主流となり、華厳思想の強い作品が多いが特に、高麗時代後期には宋で観音信仰が盛んであった影響から観音図の数は最も多く「楊柳観音図」は好まれた図像であった。

 京都・泉屋博古館「楊柳観音図」徐九方画(高麗1323年)は、中央に大きく観音菩薩が半跏の姿勢で描かれており、右手前には柳枝をさした水瓶が置かれ、画面の下方には経を唱える童子の姿、後方には二本の竹が表現され、楊柳観音図の中でも最も一般的なものである。観音は岩に挫した姿で描かれており、この様な図像は宋代の仏画に習うもので、宋代の図像が影響している。背景の岩窟は群青の暗い色調、菩薩の衣装やほかのものには朱色と緑という3色を基調とし、これは他の作品にも共通している。また描線と観音の衣装などの文様への金泥の使用も高麗仏画の特徴で、宋代仏画は金を用いる際、切金を使用しているため金の輝きが目立つのだが、高麗仏画の場合金泥を使用している他、裏彩色を用いており絹目を通した柔らかい金の輝きや色調を抑えたやさしい色あいをうみだしている。特にこの作品の場合、観音の宝冠から垂れ下がるケイラは透き通るような細密な表現が特徴的であり、やさしい色調と相まって神秘的な美しさに包まれている。観音の衣装には蓮華唐草円文様が余すところなく緻密に描かれており、文様の平面的な美しさは不思議な空間表現を作りだす。蓮華唐草円文様は高麗時代の仏画独特の文様であり、こうした文様を緻密に描き装飾する高い装飾性が指摘される。また観音の顔はやや面長で、ふくよかなほほと切れ長の目のやさしい顔立ちで、唇は下唇が中央から左右に割れ上下の区分けを端のみ短い墨線で描き、中央は下向きに湾曲する朱線で描くという高麗仏画の伝統的表現である。この作品もまた、手足はやや直線的に描かれておりやや硬い印象だが、緻密な文様の空間表現などと相まって観音の非人間的な尊厳ある雰囲気をさらに際立たせ尊厳ある画風が高麗仏画の特徴といえよう。

 日本において鎌倉時代は高麗時代に相当する。このころの日本においても宋代美術の影響は大きい。戦乱の世の中で浄土宗が人気を集め密教系の寺院が多く建設された。注目しておきたいのが、高麗仏画は貴族や商人にも高い評価で取引されていたことである。当時の日本には「唐絵」として仏画の輸入があり、宋で取引されていた高麗仏画が宋の仏画に交じって取引されていたとも言われている。また、宋へ勉強のために渡って絵画などを学ぶ僧もいたが、鎌倉仏画を描いた高山寺の明恵上人は宋にわたることなく、自らは宋の仏画を請来していないが、宋風の文物などから宋風の影響を受けたといわれている。ここで明恵が必ずしも高麗仏画を観察し影響を受けたという証拠はないが、その影を感じる例として「五聖曼荼羅 京都府高山寺蔵(13世紀)」を比較してみる。この曼荼羅は明恵の独創によって制作されたものといわれ、明恵の深遠な仏教哲学を表現しているようである。中尊にはルビシャナ如来が描かれており、その一線で描かれた鼻筋や眉は当時の宋風の影響を感じる。当時輪郭線はしっかりとした墨線で描く宋風の特徴を受けていたが、この作品はやや華奢な線で輪郭線を協調していない。また衣の表現は強弱のある線を用いており繊細である。装飾品や衣には金泥で唐草文様や円形の文様を細部まで緻密に描きこんであるなどの表現が見て取れる。仏の顔は宋風の丸い顔立ちよりやや面長で、小ぶりな口元をしておりやさしげな雰囲気を持っている。組まれた足は膝からまっすぐの直線で描かれておりやや形式がかっているところなど高麗仏画の特徴と同じ共通点が見られる。

 ここであげた明恵の作品が高麗仏画と日本の仏画の影響を必ずしも決定づけるものではないが、今は高麗仏画として保存されている「            」が以前は宋代仏画として保存され、高麗伝来のものであると改められて過去もあり、高麗仏画と鎌倉仏画との影響は推測されるのである。鎌倉時代と宋の交流と高麗と宋との関係から全く無関係のものではないのはたしかではないだろうか。

(参考文献)

・「世界美術大全 東洋編10」小学館 1998年

・「日本美術の流れ3 1013世紀の美術」千野香織著 岩波書店 1993年

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1982/04/22
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自己紹介:
現在、美術教員を目指して二度目の大学生です。
今年、4年生になれました~~☆

うつらうつら。。
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